2006.01.23
魔法の呪文
先日のコーチとのセッションで、自分のなかから「感じ続ける。判断しない。」
という言葉が出てきました。
もっと正確に言えば、「感じ続けること、判断しないことを選択する」と
自分に向かって宣言しました。
今まで、人に対しても自分に対しても、自動的に判断していた自分がいました。
それは自分にとっては呼吸のように自然なことで、自分があらゆることを自分なりに
判断しているのを意識的に考えたことはありませんでした。
自分のなかに、日々色々な声が聞こえます。
「大丈夫なのか。危ないのじゃないか。」
「おまえにできるのか。」
「この先どうなるんだ。」
そんな声が最近とてもうるさくて、どこから来ているのだろうと思ったときに
自分が無意識にしている判断がこれらの声を生んでいるのではないかと思いました。
「私は弱い。」
「私には能力がない。」
「この先きっとよくないことが起こる。」
そんな風に判断している自分から、不安な気持ちや恐怖心が生まれてくるのでは
ないかと思いました。
判断するというのは、自分独自の色眼鏡をかけて世界を見ていると言い換えても
いいかもしれません。
目の前にどんなに色鮮やかで美しい景色が広がっていても、色眼鏡をかけて
見ている限り、もとの景色の鮮やかさ、色彩の豊かさをそのまま見ることできない。
そんな感じもします。
そう思ったら、判断することで失っているものが惜しくなりました。
判断しないで、五感すべてを使ってただ感じることで、なにに気づくのか
知りたくなりました。
「感じ続ける、判断しない。」という言葉は、新しい世界への扉をあける
魔法の呪文になるかもしれません…なんちゃって

という言葉が出てきました。
もっと正確に言えば、「感じ続けること、判断しないことを選択する」と
自分に向かって宣言しました。
今まで、人に対しても自分に対しても、自動的に判断していた自分がいました。
それは自分にとっては呼吸のように自然なことで、自分があらゆることを自分なりに
判断しているのを意識的に考えたことはありませんでした。
自分のなかに、日々色々な声が聞こえます。
「大丈夫なのか。危ないのじゃないか。」
「おまえにできるのか。」
「この先どうなるんだ。」
そんな声が最近とてもうるさくて、どこから来ているのだろうと思ったときに
自分が無意識にしている判断がこれらの声を生んでいるのではないかと思いました。
「私は弱い。」
「私には能力がない。」
「この先きっとよくないことが起こる。」
そんな風に判断している自分から、不安な気持ちや恐怖心が生まれてくるのでは
ないかと思いました。
判断するというのは、自分独自の色眼鏡をかけて世界を見ていると言い換えても
いいかもしれません。
目の前にどんなに色鮮やかで美しい景色が広がっていても、色眼鏡をかけて
見ている限り、もとの景色の鮮やかさ、色彩の豊かさをそのまま見ることできない。
そんな感じもします。
そう思ったら、判断することで失っているものが惜しくなりました。
判断しないで、五感すべてを使ってただ感じることで、なにに気づくのか
知りたくなりました。
「感じ続ける、判断しない。」という言葉は、新しい世界への扉をあける
魔法の呪文になるかもしれません…なんちゃって


スポンサーサイト
この記事へのトラックバックURL
http://atlantian.blog25.fc2.com/tb.php/53-24b63f30
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント
とても視野が広がっている感じ。
万華鏡のイメージが浮かんだよ。。
色々な角度から見ても面白い。
新しい世界か~~。
楽しみ。。
万華鏡のイメージが浮かんだよ。。
色々な角度から見ても面白い。
新しい世界か~~。
楽しみ。。
かわやん
万華鏡…と聞いて、なぜかジュディ・オングの
「魅せられて」のメロディーが聞こえてきたよ~。
(古すぎ?)
万華鏡…と聞いて、なぜかジュディ・オングの
「魅せられて」のメロディーが聞こえてきたよ~。
(古すぎ?)
Posted by えりお at 2006.01.26 15:01 | 編集
| HOME |