2008.01.30
キル
昨日はCafe deコーチングの用件でIっちゃんと一緒に
多摩の中央大学に出かけ、その後大学内のカフェで
ひとしきりおしゃべり。
そのまま青山に用事のある彼女と共に南青山の
ブッククラブ回に行って、おもしろそうな本、あやしげな
本を物色
夜はシアター・コクーンで野田秀樹の「キル」を
見てきました。
野田秀樹のお芝居が好きで、随分昔から見ているけど
何度見てもおもしろい。
今回のキルも、何年も前に堤真一が演じた舞台も見ていて
二度目。あれ、もしかして三度目?
今回の主役は妻夫木聡と広末涼子。
セリフがとにかく楽しい
生きる キル 切る 着る 斬る kill
徒労 陽炎 流浪 蜃気楼
いろんな単語が綾取りみたいに形を変えながら
どんどん積み重なって、舞い上がって、まるで言葉が
踊ってるみたい。
おすすめです。
終わった後には親友と台湾料理をつつきつつ
あーだこーだと舞台についておしゃべり。
これだから芝居見物はやめられません♪

多摩の中央大学に出かけ、その後大学内のカフェで
ひとしきりおしゃべり。
そのまま青山に用事のある彼女と共に南青山の
ブッククラブ回に行って、おもしろそうな本、あやしげな
本を物色

夜はシアター・コクーンで野田秀樹の「キル」を
見てきました。
野田秀樹のお芝居が好きで、随分昔から見ているけど
何度見てもおもしろい。
今回のキルも、何年も前に堤真一が演じた舞台も見ていて
二度目。あれ、もしかして三度目?
今回の主役は妻夫木聡と広末涼子。
セリフがとにかく楽しい

生きる キル 切る 着る 斬る kill
徒労 陽炎 流浪 蜃気楼
いろんな単語が綾取りみたいに形を変えながら
どんどん積み重なって、舞い上がって、まるで言葉が
踊ってるみたい。
おすすめです。
終わった後には親友と台湾料理をつつきつつ
あーだこーだと舞台についておしゃべり。
これだから芝居見物はやめられません♪

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2008.01.28
ドラマ
2008.01.27
フォトセラピー
昨日、今日とフォトセラピーのワークショップに参加してきました。
フォトセラピーというのは、アートセラピーから発展してきたもので、
写真を撮るという行為を通して、癒しをもたらすもの。
私自身、ブログ用にデジカメで写真を撮るのがすごく楽しくて、
それで随分救われていると感じているので、フォトセラピーと聞いた
とき「これだ!」と思ったのです。
すごく楽しみにしていたので、始まる前からワクワクドキドキ♪
今回は、参加人数は少なかったのですが、その分リラックスして
なごやかな雰囲気のワークショップでした。
会場となった世田谷ものづくり学校は、廃校になった中学校の
校舎を改造したスペースなのだけど、ここがまたすごくセンスが
よい上に、とても気の流れのよい空間。
デザイン関係の小さなオフィスなどが集まっていて、廊下を歩き
ながら置いてあるものを見ているだけでも楽しい!
実際にカメラを使ったワークのほかにも、二人一組で一人がカメラ
でもう一人が撮影者になる「人間カメラ」のワークや、黒い厚紙を
切り抜いてフレームに見立て、空間を切り取る練習も。
どちらも、普段無意識にしていることを意識的にやってみることで
あらためて気づくことがたくさん。
卵のレプリカを机の上に一つ置いて、あらゆるアングルから撮影
するワークもおもしろかった。
普段特別興味をそそられない対象でも、色々な角度から見たり
離れたり、近づいたりするうちに、思わぬ美しさやおもしろさを
発見するのです。
「これはこんなものだ。」という先入観や意味づけを捨てて、今
目の前にあるそのままのものを眺めてみると、そのものの「いのち」
みたいなものが浮かび上がってくるんですね。
コーチングをするときには、相手に極力先入観を持たずに向かい
合うことで相手の可能性が見えてくると感じているのだけど、この
ワークではまさにそれを実感できました。
今まで植物や空を主に撮っていたんだけど、どんな素材でも食わず
嫌いをせずにまずよく眺めて撮ってみたら、意外な世界が開けそうな
気がします。

写真ブログも更新してます↓
525,600分の記録
フォトセラピーというのは、アートセラピーから発展してきたもので、
写真を撮るという行為を通して、癒しをもたらすもの。
私自身、ブログ用にデジカメで写真を撮るのがすごく楽しくて、
それで随分救われていると感じているので、フォトセラピーと聞いた
とき「これだ!」と思ったのです。
すごく楽しみにしていたので、始まる前からワクワクドキドキ♪
今回は、参加人数は少なかったのですが、その分リラックスして
なごやかな雰囲気のワークショップでした。
会場となった世田谷ものづくり学校は、廃校になった中学校の
校舎を改造したスペースなのだけど、ここがまたすごくセンスが
よい上に、とても気の流れのよい空間。
デザイン関係の小さなオフィスなどが集まっていて、廊下を歩き
ながら置いてあるものを見ているだけでも楽しい!
実際にカメラを使ったワークのほかにも、二人一組で一人がカメラ
でもう一人が撮影者になる「人間カメラ」のワークや、黒い厚紙を
切り抜いてフレームに見立て、空間を切り取る練習も。
どちらも、普段無意識にしていることを意識的にやってみることで
あらためて気づくことがたくさん。
卵のレプリカを机の上に一つ置いて、あらゆるアングルから撮影
するワークもおもしろかった。
普段特別興味をそそられない対象でも、色々な角度から見たり
離れたり、近づいたりするうちに、思わぬ美しさやおもしろさを
発見するのです。
「これはこんなものだ。」という先入観や意味づけを捨てて、今
目の前にあるそのままのものを眺めてみると、そのものの「いのち」
みたいなものが浮かび上がってくるんですね。
コーチングをするときには、相手に極力先入観を持たずに向かい
合うことで相手の可能性が見えてくると感じているのだけど、この
ワークではまさにそれを実感できました。
今まで植物や空を主に撮っていたんだけど、どんな素材でも食わず
嫌いをせずにまずよく眺めて撮ってみたら、意外な世界が開けそうな
気がします。

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525,600分の記録
2008.01.21
惜しみなく愛する
2008.01.20
助けを求めちゃいけないってほんと?
今月は浄化と整理の月を過ごしているえりおです
さて、以前から気づいていたことなんだけど、自分はどうも
助けを求めたり、助けを受け入れたりするのが苦手だな~、
と思うときがあります。
一人でなんとかする必要のないことでも、ふと気づくと自分
だけで解決しなくちゃと思っていて、その結果どよ~んと苦しく
なっちゃったり…。
最近気づかないうちにそのモードに入ってたことがあって、ふと
我に返って心の声に耳を傾けてみたら、「大人は自立している
ものだ。助けてなんて弱気なこと言わないで、一人でなんとか
するべきだ。」っていう声が聞こえてきました。
あらあらあら…、そんな風に思っているから私はときどきカチ
コチに固まっちゃうんだ。
冷静に考えたら、大人かどうかなんて関係なく、人間どんなに
がんばったって自分の力だけでは日々命をつなぐのだって難しい
のだし、助けを求めれば解決できることがたくさんあるのにね…。
父や母やその前のご先祖様たち、お医者さんや助産士さんの力
なくては、この世に生まれてくること自体もなかったわけだし。
昨年秋に行ったミネソタのBWCAWのキャンプだって、とても
一人では旅できなかった。
強風でカヌーが全く進まなくなってしまったところを救い出して
もらったり、みんなで協力しあって荷物を運び、テントをはり、
火をおこして暖を取り、料理をしました。
気候が厳しくて、思いがけずハードな旅だったけど、みんなが
協力しあったから、最後まで無事に旅が続けられたんだよね…。
もしかしたら、常に一人でなんとかしようとするのは傲慢なこと
なのかもしれない。
誰かに助けてもらったら、そのことに精一杯感謝して、自分が
できることで恩返ししていけばいいのかもしれない。
自分だって困っている人を見たら助けたくなるのだし、誰かの
役に立てたときはうれしいし、みんなお互い様、一緒に生きていく
ための当然のことじゃないか。
そんなことに気づいて、ふっと肩の力が抜けました。
と同時に、生まれてから今日まで無数の人たちに支えられて、
今の私があるんだな、本当にありがたいって気持ちになりました。
つらいときには上手に助けてって言えるように、心を素直に、柔軟に
しておこうっと

写真ブログも更新してます。
525,600分の記録

さて、以前から気づいていたことなんだけど、自分はどうも
助けを求めたり、助けを受け入れたりするのが苦手だな~、
と思うときがあります。
一人でなんとかする必要のないことでも、ふと気づくと自分
だけで解決しなくちゃと思っていて、その結果どよ~んと苦しく
なっちゃったり…。
最近気づかないうちにそのモードに入ってたことがあって、ふと
我に返って心の声に耳を傾けてみたら、「大人は自立している
ものだ。助けてなんて弱気なこと言わないで、一人でなんとか
するべきだ。」っていう声が聞こえてきました。
あらあらあら…、そんな風に思っているから私はときどきカチ
コチに固まっちゃうんだ。
冷静に考えたら、大人かどうかなんて関係なく、人間どんなに
がんばったって自分の力だけでは日々命をつなぐのだって難しい
のだし、助けを求めれば解決できることがたくさんあるのにね…。
父や母やその前のご先祖様たち、お医者さんや助産士さんの力
なくては、この世に生まれてくること自体もなかったわけだし。
昨年秋に行ったミネソタのBWCAWのキャンプだって、とても
一人では旅できなかった。
強風でカヌーが全く進まなくなってしまったところを救い出して
もらったり、みんなで協力しあって荷物を運び、テントをはり、
火をおこして暖を取り、料理をしました。
気候が厳しくて、思いがけずハードな旅だったけど、みんなが
協力しあったから、最後まで無事に旅が続けられたんだよね…。
もしかしたら、常に一人でなんとかしようとするのは傲慢なこと
なのかもしれない。
誰かに助けてもらったら、そのことに精一杯感謝して、自分が
できることで恩返ししていけばいいのかもしれない。
自分だって困っている人を見たら助けたくなるのだし、誰かの
役に立てたときはうれしいし、みんなお互い様、一緒に生きていく
ための当然のことじゃないか。
そんなことに気づいて、ふっと肩の力が抜けました。
と同時に、生まれてから今日まで無数の人たちに支えられて、
今の私があるんだな、本当にありがたいって気持ちになりました。
つらいときには上手に助けてって言えるように、心を素直に、柔軟に
しておこうっと


写真ブログも更新してます。
525,600分の記録
2008.01.12
今年はどんな年にしようかな
遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
年末年始は実家に長く戻っていたこともあり、ほとんど
引きこもり状態で冬眠していたえりおです。
親しくさせていただいている近所の方が急になくなられたり、
3月から海外ボランティアをする父が研修所に入ったり、
最近家族が通い始めた新しい教会のノルウェイ人の牧師さんが
実家を訪問してくださったりと、家族にとってはなにかとあわただしい
お正月でもありました。
さて、このブログでは年のはじめに一年をどう過ごしたいかという
ことを書いています。
ちなみに、昨年のお正月の日記を読み返していたら、2007年は
「一人の人間としてリアルでいたい」、「niceでいるよりも、realでいる」
と書いていました。
以下、1年前のブログより引用します。
>光ばかりじゃなく、闇も抱えている生身の自分をありの
>ままに見るということ。
>嫉妬、怒り、後悔、気の弱さ…。「私」という存在はそういうものも全て
>含んで成り立っていることを認めるのが、今の私にとってリアルで
>いるということ。
うむむ、昨年は年初に意図したとおり、まさにリアルな自分でいた一年
でした。
自分の怒り、弱さ、ずるさ、後悔なんかと正面から向き合わざるを得ない
ような事件がタイミングよく起こって、そういう感情を否定せずにそのなかに
どっぷりつかり、ばっちり味わった一年でした。
ばっちり味わったおかげで、今まで気づかなかった自分の考え方のクセ
がよくわかったので、結果的には豊かな経験でした。
で、あらためて今年はどんな年にしたいかというと…。
一つには、もっとカラダの声を聞くこと。
この数年アタマで学ぶことばかり考えて、続けていた気功や太極拳も
お休みしているし、定期的に通っていたタラソテラピーもやめてしまい、
あまりカラダをケアしてこなかったつけが回ってきたみたいです。
気がつけばカラダのあちこちが悲鳴を上げてる~!
この間久しぶりに整体に行ったら、カラダだけでなく気持もすごく
すっきりして、心の健康のためにもカラダからのアプローチがもっと
必要だと実感。
どうも私はアタマが先走ってしまう傾向があって、気がつくとカラダが
ついてきてないことがあります。
アタマが考えて答えに行き着けないときも、カラダはちゃんと答えを知って
いるのですよね。
自分のカラダのメッセージをもっと注意深く聴いて、カラダとのコミュニケー
ションをよくしたいと思います。
もう一つ、今年はもっと写真を撮って、なんらかの形でたくさんの方に
見ていただきたいと思っています。
そのために、まずもう一つブログを作っちゃいました
毎日最低1枚は写真を撮って、日常を綴っていきます。
↓
525,600分の記録
そんなわけで、みなさま今年もよろしく♪

年末年始は実家に長く戻っていたこともあり、ほとんど
引きこもり状態で冬眠していたえりおです。
親しくさせていただいている近所の方が急になくなられたり、
3月から海外ボランティアをする父が研修所に入ったり、
最近家族が通い始めた新しい教会のノルウェイ人の牧師さんが
実家を訪問してくださったりと、家族にとってはなにかとあわただしい
お正月でもありました。
さて、このブログでは年のはじめに一年をどう過ごしたいかという
ことを書いています。
ちなみに、昨年のお正月の日記を読み返していたら、2007年は
「一人の人間としてリアルでいたい」、「niceでいるよりも、realでいる」
と書いていました。
以下、1年前のブログより引用します。
>光ばかりじゃなく、闇も抱えている生身の自分をありの
>ままに見るということ。
>嫉妬、怒り、後悔、気の弱さ…。「私」という存在はそういうものも全て
>含んで成り立っていることを認めるのが、今の私にとってリアルで
>いるということ。
うむむ、昨年は年初に意図したとおり、まさにリアルな自分でいた一年
でした。
自分の怒り、弱さ、ずるさ、後悔なんかと正面から向き合わざるを得ない
ような事件がタイミングよく起こって、そういう感情を否定せずにそのなかに
どっぷりつかり、ばっちり味わった一年でした。
ばっちり味わったおかげで、今まで気づかなかった自分の考え方のクセ
がよくわかったので、結果的には豊かな経験でした。
で、あらためて今年はどんな年にしたいかというと…。
一つには、もっとカラダの声を聞くこと。
この数年アタマで学ぶことばかり考えて、続けていた気功や太極拳も
お休みしているし、定期的に通っていたタラソテラピーもやめてしまい、
あまりカラダをケアしてこなかったつけが回ってきたみたいです。
気がつけばカラダのあちこちが悲鳴を上げてる~!
この間久しぶりに整体に行ったら、カラダだけでなく気持もすごく
すっきりして、心の健康のためにもカラダからのアプローチがもっと
必要だと実感。
どうも私はアタマが先走ってしまう傾向があって、気がつくとカラダが
ついてきてないことがあります。
アタマが考えて答えに行き着けないときも、カラダはちゃんと答えを知って
いるのですよね。
自分のカラダのメッセージをもっと注意深く聴いて、カラダとのコミュニケー
ションをよくしたいと思います。
もう一つ、今年はもっと写真を撮って、なんらかの形でたくさんの方に
見ていただきたいと思っています。
そのために、まずもう一つブログを作っちゃいました

毎日最低1枚は写真を撮って、日常を綴っていきます。
↓
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そんなわけで、みなさま今年もよろしく♪

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